先日、同僚と「アウトプット」について話をする機会があり、自分の考えを整理することができた。そこでの話を踏まえて、2021年時点での自分の「アウトプット観」とも言えるものを整理しておこうと思う。
インプットとアウトプットの関係
インプットとアウトプットは食事と排泄に例えられることがあり、この比喩は結構気に入っている。何が原典なのかはわからないけど、「アウトプットしないのは知的な便秘」で検索するといくつからしき話が出てくる。食べたら出さないとだめ、インプットしたらアウトプットしないと体に良くないということだ。
私の「アウトプット」の定義
さて、ここまで「アウトプット」を定義せずに話してきたのだが、ここで 私の思う「アウトプット」 を定義しようと思う。私の思う「アウトプット」は次のようなものだ。
- 本や文章を読んで「おもしろかった」などの感想を口に出すこと
- 本を読みながら重要だと思ったところに線を引くこと
- 自分が学んだことについて文章を書くこと
- 課題を解決するためにコードを書くこと
- etc
そう、なんでも「アウトプット」だと思っている。もう少し言語化を試みると、
自分を取り巻く環境からのあらゆる入力に対して、自らが起こした反応
といった感じだろうか。インプットを咀嚼して起こした行動は全てアウトプットと呼んでいいと思う。
質の高いアウトプットとは?
一方で、全てのアウトプットが同じレベルであるとは思っていない。アウトプットの質(や量)という観点は当然存在する。
社内ではhsbt文書と呼ばれている文章があり、質の高いアウトプットがなにかというのはある程度コンセンサスが取れているし、私自身も全面的に同意している。 また、hsbtが書いた別の記事何故アウトプットが大事なのかでは、 アウトプットに対するフィードバックをインプットへつなげる ことが重要であると述べられている。
ではここで、質の高いアウトプットとはどういうことか、いくつか例を出して考えてみる。
私がある本を読んで「おもしろかった~」という感想をツイートした。それを見た友人は「よかったね~」「私も読んだけど面白かった」といった反応をくれたり、「その本が面白かったなら、こっちの本も好きだと思うよ」と別の本を紹介してくれた。
このエピソードでは、最後の「別の本を紹介してもらえた」というのが、アウトプットに対するフィードバックが次のインプットに繋がった例だと言えるだろう。
さて、別の例を考えてみる。
私がある映画をみて「ラストシーンの直前の、主人公が敵のアジトから脱出する際のアクションがよかった」とツイートした。それを見た友人は「私は前半の侵入するシーンの主人公の表情がよかった」「こっちの映画はそのシーンよりもすごいアクションがあるよ」などの返事をくれた。
ちょっと出来すぎた話だが、 例として大目に見てほしい。この2つの例で私が言いたいのは、アウトプットの解像度を高め、具体化することで、フィードバックの質を高めることができる可能性があるということだ。人同士のコミュニケーションでは、受け取った情報と同じレベルの情報を返すことが多い。「おはよう」と言われたら「おはよう」と返すし、「おはよう。今日は元気?」と言われたら「おはよう。元気だよ。あなたは?」と返すだろう。
つまり、アウトプットへのフィードバックを受けるには、アウトプットの質(や量)を意識する必要があり、そのためにはアウトプットの解像度を高めたり、具体的にすることが有効であると言える。
「アウトプットの質を高めたい」と漠然と考えている人は、このあたりをヒントにしてもらえるといいと思う。
おわりに
このエントリでは、同僚とアウトプットについて話した内容を踏まえ、自分なりの「アウトプット」の定義とその質についてまとめた。
私自身も、まだまだ「質の高いアウトプット」と呼べるものが少ないと感じているので、自戒を込めてこの文章を書いている。もし今後、私が適当なアウトプットをしていたら、このURLを送りつけて「お前は言ってることとやってることが違うぞ」と指摘してほしい。
created_at: 2021-01-30 05:40:59 +0900
updated_at: 2021-01-30 10:27:52 +0900