失敗を歓迎する組織へ
今朝起きてMacBookをあけると、ディスプレイにはなにか触られたような跡がたくさんあって、スリープさせていたはずのマシンは電源が切れていた。
十中八九息子の仕業なわけだけど、本人は何も言ってこないのでしばらく待っていた。が、nasneで天才テレビくんの録画を見るのに夢中のようだ。
意を決して「パパのこれなんか変だなー」と言ってみると表情が変わる。
失敗することとそれを報告すること、あるいは叱るということ
基本的には、なにか失敗したときよりも、その失敗を言わないことを叱るようにはしている。(もちろん両親も人間なのでそうならないことも多々あるが…)
仕事だと、当然ながら失敗そのものよりその報告と対策をどうするかが大事なわけである。失敗をしてしまった人はたまたまババを引いてしまった、あるいは地雷を踏んでしまっただけで、ババがあるということ、地雷が埋まっていることを身を持って示してくれた勇者なのである。
だからこそ、悪い報告ほど早く、もしくはだれが見ても悪い状況がわかるように見える化が大事だと思う。
本人は何も言わなくてもダメージを受けている(はず)から、失敗そのものを責めることは傷に塩を塗るのと一緒である。ただ、なぜ失敗がおきたという分析、その対策が不十分であればそこはつっこんであげるのが必要だろう。
ふりかえりのグランドルール
ふりかえりをはじめてやるチーム、もしくはあまり上手くいってないのでファシリテートの手伝いにいく場合には、まず最初にふりかえりのグランドルールとして「全員がそれぞれの立場で全力を尽したことを疑わってはいけない」という話をする。
大抵はこれを言っておくだけで間違った方向にはいかないので、あとはどれだけ発言を引き出せるかというだけだ。
発生した問題は、もしかしたらとても個人的な能力が引き金になってしまったのかもしれないけど、それはチームのふりかえりでふかぼりすることじゃないと感じている。
失敗を歓迎する組織
ちょっと脱線してしまったが、何がいいたいかというと、そういう雰囲気って社会全体で作っていかないといけないんだろうなと思うということ。
失敗を歓迎できるようになるには、失敗しても死なない社会、組織を作らないといけない。
そういう観点から、社会や会社の制度、ルールを見てみると新しい発見があるのかもしれない。